大きな古時計
2019/05/16
もう40年近くも前から通っている美容院があります。鈴鹿市若松中にある美容室スカイラークです。
僕と同い年のマスターが今は一人でやっているお店で、とても落ち着いた雰囲気の店内なのです。
そこにはいつの頃か忘れましたが大きなノッポの古時計が来ました。
ぶら下げのおもりの力で時計、毎時刻を鐘を鳴らして知らせてくれます。
その鐘の音がなんとも言えず落ち着いた、深みのある、それでいて暖かい、とっても癒やされる音がするのです。
もう百年近くも経った確かアメリカ製の時計だということで、まさに「大きな古時計」の歌詞がそのまま再現されたような時計です。
その音の源は何かと考えてみると、確かに中で叩いている金板(?)が音源ではあるのですが、やはりその時計のボディ全体の木の響きがその音に貢献していることは間違いないと思います。その乾いた木の鳴りが僕らの心に届いてくるのだろうなと、時刻を刻む音を聴くたびに思いが時計に行きます。
ピアノも同じ木製品。古いピアノもまたこの時計と本質的に同じような響きを感じることがよくあります。
だから、古いピアノを持っている皆さん、どうかそのピアノを大事にしてあげてください。時というパウダーが降りかかった楽器は、人の心を癒やす、暖かな不思議な力を宿してるものなのですから。
私たちはそんな楽器を蘇らせ、さらに魅力的な楽器にしていくよう、力いっぱい仕事をしていきたいと思っています。
BIGYUKIさん
2019/05/02
いつもお世話になっているピアノの先生から調律依頼をいただきました。
昔の教え子さんで、今はニューヨークで作曲家、編曲家、キーボーディストとして活躍している平野雅之(BIGYUKI)さんという方で、津市の実家のアップライトピアノの調律をということでお伺いしました。ちょうど今日本に帰ってきているので調律を依頼したとのことでした。
お伺いする前にネットで調べてみたら、なんと大変な活躍をされてみえるプレーヤーの方で、正直恐る恐るお伺いしました(笑)。
もし気難しい人だったろどうしよう、とか。(笑)
ところが、お伺いしてみたらそんなことは杞憂に終わり、たいへん気さくでフレンドリーな方で、いっぺんに好きになり、肩の荷も降り終始楽しくお話が出来ました。
そして調律が終わったあとの試弾でもピアノの音を大変気に入っていただきました。
演奏ってその人となりが出ると言いますが、私はやはりこのように身近で聴かせていただく演奏は大好きです。一見明るい彼の演奏の、実は深いところに潜んでいる味わい深い表現力が感じられた時に、人間それぞれの奥深い面白さに非常に私は魅力を感じます。
いい演奏を聴かせてもらい、いい出会いもいただきました。
調律という仕事の醍醐味です。
ちなみに、BIGYUKIさんという名前は、決して「俺はビッグだぜ。」という意味ではなく、ニューヨークでの同じメンバーにやはりYUKIさんがいて、雅之さんのほうが背が高かったのでBIGYUKIとなったそうです。
なんか、ほっこりです。(笑)
スタインウェイ技術研修会
2019/05/01
4月24日、スタインウェイ会会員向けの技術研修会が名古屋市の熱田文化小劇場であり、参加してきました。
内容は「スタインウェイピアノの保守点検」。坂下嘉一氏(スタインウェイジャパン委託技術者)による3時間半ほどの講義でしたが、大変中身の濃い有意義な研修で、私のように68歳になってもまだまだ知らないこと、あるいは昔と違ってきている方法など、いくつになっても勉強なんだということを改めて思いました。と言うより、まだまだ自分の知らないことがいくらでもあるのだと改めて認識しました。
こういう研修の機会が与えられるのは本当にありがたいことです。
また他の技術者さんとの交流も非常に刺激をもらいます。
参加して良かった。
女子トーク
2019/04/23
今日は知り合いの3人の女性ピアノ調律師が我が家キッチンまちだに遊びに来てくれました。もともとは連れ合いの知人で、同じ仕事仲間を引き連れて来てくれて、一緒に会うようになりました。
お昼はカレーとハンバーグにポトフと、豪華版。3人には食事も喜んでもらい、また同業者ならではの仕事話、込み入った技術話や僕以外4人の女子トークに花が咲き、楽しい、そして結構意義のある中身の濃い時間を過ごすことが出来ました。
それにしても僕以外の4人の女性がすべてピアノ調律師というのはなかなかレアな絵だと、ちょっと遠巻きに眺めておりました。
このようにいろんな人が我が家に来てくれるのも、僕が先妻と母を亡くしてから料理を趣味と決めたのが、こんないい時間を作ってくれたわけで、あの時の「よし、こうなったら僕はもう料理を趣味としよう。」と決めたことが、本当にいい決断だったと今でも時々思い出します。
音楽の神様
2019/04/20
今日の仕事。
リハーサルを聴きながら、自分の調律の音をチェック。
確かにそこには自分が作った音の美がある。感じる。ピアニストの奏でる美しい音楽を聴いていて感じる。自分の音がそこにある、と感じる。
ピアニストの演奏は素晴らしく綺麗でした。
でも、調律師はどこまで存在していいのだろうか。あるいは、これも独りよがり?
なんか、自分のした仕事に迷う時があります。でも最後に自分を支えてくれるのは自分の感覚。美意識。音楽観。人が感じてくれるかはまた別のこと。自分の感覚を大切にせねば、と自分に言い聞かせます。
誰かに伝わればそれでいい。
今日も音楽の神様が舞い降りますように。